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    BLOGGING

    2011.09.03

    UMEKUTI:AMP MUSICができるまで(その1)

    ※2010年4月までのできごと

    Ryukutiを待っていたら「番外編(これとかこれとか)」ばかり書くことになり、いつになるかわからないので、時計の針を先に進める。

    自分がいつからアフリカに興味を持つようになったのかはよく覚えていない。もともとはじめての一人旅は途上国で(カオサンで10円の宿に泊まる)、プライベートな旅先は途上国ばかりのバックパッカー気質ではあった。ひとつのきっかけは、セネガル人の友達ができたことだ。日本には、アフリカから留学生としてやってきて大学院まででている優秀な人材がたくさんいる。そういうひとりとあるとき知り合った。

    彼らは最初の1年間語学学校に行き、翌年から日本の大学に入り、大学院に進んで修士・博士をとっている。英語、日本語はもちろん、フランス語や他の複数言語を話せる人が多い。留学生として来られるのはもともとエリートの人々で、さらに努力を重ねてきたのだから優秀だし頭も切れる。

    (しかしそういう優秀な彼らでも、卒業後、日本においては就職先が見つからないのだ。アフリカや中東市場に土地勘を持っている/持ちやすい彼らは、今後の日本企業にとっては宝だと思うのだが。日本にとっても、留学生として招聘=投資しておいて、もったいないことだと思う。)

    その彼と、一緒に事業をやろうということになった。しかし、事業のコアなところ-誰に何の価値を提供してどうマネタイズするか、売上目標と出資、事業を進めるスピード感といったところ-がどうにもうまく話し合えなかった。「とにかくやってみれば大丈夫」のみの彼と、一緒にやるにあたっての大事なことも決められない状態に躊躇した私のギャップは、うまく埋まらなかった。呼吸があわなかったという方が正確かもしれない。文化の違いに帰するのは安易過ぎると思うけど、あの話し合えない感じはなんだったんだろうと今でも思う。個人間の相性だけでない、普遍的なものが含まれていたような気がする。

    うまくいきそうにないという最終判断をしたのが、10年の3月あたりだったと思う。

    4月に大学院に入学した。私が入学した大学院には、夏季海外スクーリングという単位科目がある。途上国の大学にて、そこの教授から授業と現場スタディを受けるというものだ。この行き先のひとつにケニアのナイロビ大学が入ってるのを知って、入試前から行きたいと思っていた。

    (ちなみに、Umekutiアフリカへ行く。で書いているアフリカ旅行は、このスクーリングの参加も目的のうちのひとつ。)

    まだよくアフリカのことはわかっていなかったけど、当時出した修論計画をみると、アフリカを対象地にすることがすでに書いてある。うまくいかなかった事業立ち上げの後でも、舵はアフリカに向けて切っていたのだと思う。ただその段階で感じていたのは、ただの好奇心に近かった。

    twitterでもアフリカ関係の人をフォローしはじめた。Ryukutiはその中にいたのだった。

    (つづく)

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